ゲームは勉強や仕事の敵か味方か?

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🔄 最終更新日 2024年2月18日 by takara_semi

ゲームは勉強や仕事の敵か味方か?

シンジ君
シンジ君

そういえば最近
「ゲームは勉強や仕事の敵か味方か?」
どうかを考えてたんだ。ゲームが勉強の役に立つなら嬉しいよね!教えてマスター!!

ChatGPT
人工知能「マスター」

ふむふむ。。なるほど。。
「ゲームは勉強や仕事の敵か味方か?」
ですか。。それはつまり、こういうことを知りたいんですね。

【回答】

ゲームが勉強や仕事の敵か味方かは、個人の使用方法やバランスによって異なります。正しいバランスで使用されれば、ゲームは勉強や仕事の味方になることがあります。以下にその理由をいくつか挙げてみます。

まず、ゲームはストレス解消に役立つことがあります。長時間勉強や仕事をすると、ストレスや疲れがたまりますが、ゲームをすることでリフレッシュすることができます。

また、ゲームは問題解決能力を鍛えることができます。多くのゲームは、プレイヤーが問題を解決するために論理的思考力や創造力を使う必要があります。これらのスキルは、勉強や仕事でも役立つことがあります。

さらに、ゲームは社交的な側面を持っています。多くのゲームは、他のプレイヤーとの協力や競争が必要となります。このようなゲームを通じて、人々は社交的なスキルやチームワークを身につけることができます。

ただし、ゲームが勉強や仕事の敵になることもあります。ゲームに熱中しすぎると、時間を浪費し、勉強や仕事に充てるべき時間を奪われてしまう可能性があります。また、ゲームによっては、過度な暴力や依存性があるものもあります。これらのゲームを過剰にプレイすることは、精神的な健康に悪影響を与えることがあります。

結論として、ゲームが勉強や仕事の敵か味方かは、使用方法やバランスによって異なります。ゲームを楽しむためには、正しいバランスを見つけ、適度にプレイすることが重要です。

といったところでしょうか。

調べ太郎
シンジ君

なるほど!
たしかに何事もバランスが大事だよね!
マスターはなんでも知ってるね!ありがとう!

りてらし子
りてらし子

んー。。マスターの言ってることは本当かな?論拠も証拠も不明な部分が多いし。。。シンジ君はいつも、マスターの言うことを鵜呑みにするよね。マスターの言う情報は大丈夫かもしれないけど、場合によっては、悪意のある情報にだまされたり、間違った情報におびやかされたりすることだって、あるんだよ!気を付けてね!

信二君
シンジ君

くー。。。ぐうの音も出ない。。そうなんだよな。最近、自分でもよく分かってない情報を、そのまま自分の考えみたいに話したり、信じたり、発信したり。。。とか、そんなことはいいんだ!!じゃあどうすればいいの?

りてらし子
りてらし子

そうねえ。。まずは「文献や、確かな機関で発信された情報」を確認するのが良いかしら。学術論文(Googleスカラーなどが活用可能)、文献(図書館、電子図書館の活用)、信頼できる機関の発信(教育機関や行政機関、研究機関、企業など)なんかは、信頼できる、強いエビデンスになるし、個人の発信であっても、優良な機関などに属する人や著名人の発信は、参考意見にはなるよね!


そもそも人工知能(AI)は自分の知識が正しいかどうかに関わらず「自信満々にそれらしく」答えてくれるから、要注意だよ!


人工知能(AI)に限らず、ネットニュースやTwitterなどのSNSをはじめ、現実世界での噂話、ゴシップなんかも、そのまま信じるのではなく、一度自分で調べて、考えて、納得できるものかどうかを確かめるようにしよう。まあ、興味がない話なら、そもそも気にしないという手もあるね!!

信じ君
シンジ君

りてらし子さんのことは信じてるよ!とても勉強になったよ!ありがとう!!マスターの意見はそれとして(AIならこう答えるんだってこととして)、やっぱり、自分たちで考えてみるね!!


結論

【シンジ君がみんなと話し合ったまとめ】
ゲームは勉学の妨げになるか否か。学術的にも様々な意見があるが、年齢的に若い時期の長時間のゲームはあまり脳にいい影響はないようだ。しかし、自分で時間を決めて節度を持って遊ぶ分には「遊び」の一つとして、効果的な娯楽であるように思う。

そこでお勧めしたいゲームがある。それが「アンダーテール(Undertale,2015年発売)」である。「ゲームで出てくる敵は攻撃して倒すのが当たり前。」そんな固定観念を変えてくれる新しいゲームである。これ以上は何も知らない状態でプレイすることをお勧めする。

とにかく、この「当たり前」に疑問を持ち「他の選択肢を模索する」という姿勢は、勉強や社会生活でも非常に大切なものである。先生の言うことは絶対か?先生は尊敬すべき存在だけれど、正しくない時もある。その判断は自分で行わないといけない。

学校や会社は絶対に休んではいけないのか?本当に嫌になる前に、できることはないか?勉学が生きる力を身に付けるものだとするならば、一部のゲームは、それを育む良い教材であると言えるのではないだろうか。

<参考文献>
[1] 多根清史, “教養としてのゲーム史”, ちくま新書(2011).

問題・課題に対する回答は無数にあります。シンジ君たちの考えも、マスターの考えも、その正しさはさておき、一つの主張であり、意見です。自分なりの意見を持つことや、他人の意見をサポートすることは勿論、与えられた情報の真偽を判断できることも、素晴らしい能力で、これから求められる力でもあります。

色々と議論しましたが、最終的に信じられるのは自分自身が決定したものです(それが自分の意見でなくとも)。経験や得た知識、今の感覚や気持ちも大事にして、腑に落ちる「今の自分なりの回答(答えのない問題に対しては柔軟に変化するものです)」を導けると素晴らしいですね。世に流れる情報はコントロールできませんが、あなたが「情報を選ぶ」ことはできます。選ぶ情報の精度を向上させていきたいものですね。皆さんも、気軽にコメントなどから議論に参加してみて下さいね。


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takara_semi
著者紹介 旧帝大卒.自然科学/社会学/教育学/健康増進医学/工学/数学などの分野、および学際的な研究領域に興味があります.

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